果実を分ける

2007年2月 1日(木曜日) 21:13 JST

投稿者: 掃除用具

先日、NHKのテレビ番組で、イギリスのとある庭園を舞台にしたドキュメンタリを見ておりました。
その中で、背の高い果樹が植えられているのを見ました。
なんの果実だったか、録画したビデオを見返していないので、ちょっと思い出せないのですが、その果実を入れたスコーンか何か、美味しそうでした。

さて、私の住むここいらは田舎ですので、果樹が多く育っています。
特に隣町が柿の特産地でもありますので、ここいらも柿の木が多いです。さて、柿にしろ、外の果樹にせよ、背が低いです。
とくに柿狩り農園など、大人の背丈ほどしかありません。
つまりは背の高さ以上であると収穫しずらいということでしょうね。

イギリスのその果樹は梯子を使っても、一番上の果実など取れそうにありませんし、実際に取っていません。
どういうことかというと、取れない果実は鳥や虫たちの分という思想なんですね。この考え方は、昔は日本にもあったと記憶しています。
今はないですけど。

果実を実らせるには、毎年、大変な世話をしなければなりません。
この世話を「投資」と捉えますと、「果実」は投資による結果であり、「利益」であり、「成果」であります。
この国、日本ですけど、投資に対する利益はすべて受け取って然るべきと考えています。
でも、それは、少なくともこの時代では、すべきではない、ほどを知るべきであると考えるのです。
共生、共に生きること。

これが大切だと思うのです。
本来、政治がそれを作用させるべきなのかもしれません。
例えばですが、所得税を大きく取ること、つまり富めるものから多くの税金をとることも一つの考えだと思います。
もっとも、それができない優柔不断が政治にはありますけれど。

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