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 2024年3月29日(金曜日) 01:46 JST

一期一会という

   
日記永井塾 永井直也先生を悼む

告別式に出席する。

どうしても悔やまれるのは数年来不義理をしてお目にかからなかったということだ。

今となっては、それを悔いてもどうしようもない、そうわかってはいるのだが、この気分は変えられそうにない。
ただ、いくらかの救いは、同期のK君から、彼は三月頃に先生に会ったそうだが、変わらずに元気でおられたということ。
これはささやかなことかもしれないが、不義理をしていた私にとっての救いである。

さて、人の死というものは、その人の死であると同時に、近しい者、影響を受けた者の心の一部が死ぬことでもある。
ただ、その箇所自体は蘇生しえないが、時間の経過と共に、新たな、そして様々な出会いによって、死んだ部分を補い、新たに心は成長して行く。

ただ、悔いはその成長を阻害する。
そして、私の悪いところは、その悔いの中にじっと閉じこもってしまうことだ。贖罪をあがなっている心持ちに浸れるからだろう。
人には性分というものがある。それはいけないことと責められても、後ろを振り返り振り返り前へと進む私には、まだ、しっかりと前に進むだけの力はない。もう少し時間が必要だ。

一期一会、先生との出会いは私にとって大きな影響を与えた。
いつまでも青年の清々しさと、真摯な眼を持っておられる希有な人である。
そして、一期一会の言葉は、再びお目にかかることのできない空虚さを伴うようになった。

ここ数年、すっかり心が疲弊している私であるが、その眼を思い出し、ゆっくりと起き上がるようにしよう。

楕円律 67 平成5年5月20日発行 楕円律発行所刊



 

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